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大阪で自殺した女の子に是非読んで欲しかった、と思うのです。
以前、少しこのブログでもふれましたがアーヴィングの作品の中で一番、私が愛しているこの作品、叶うことなら、彼女が自らその短い人生にピリオドを打つ前に時計を戻して、彼女に手渡してあげたかったです。 今回、彼女のご両親が「娘がなぜ死んだのか明らかにして全国で続く自殺の連鎖を止めたい」として、彼女の実名を公開をされたと言う記事を読み、悲しみで胸が締め付けられました。ご両親のお話では、彼女は生まれつき体の成長が遅くなる病気だったそうですね。そして、まだ子供と言ってもいいこんな年の子が、苦しいはずの成長促進の注射を打って、「がんばって大きくなるねん」「看護師になりたい」と。このくらいの年の子がどれだけ痛い思いをして、イヤな思いをして注射をしていたのか・・・そこまでして、彼女は普通(こんな言葉には何の根拠もないのに...しかし自分が思春期のことを思い返せば、皆と同じでないことは、その年頃の子供たちには即ち「普通」ではないと言うことなのでしょう。この事に我々大人はもう少し目を向けてあげなくてはならないかも知れません)なりたがっていたのに。彼女を傷つけ、苦しませ、自殺にまで追い込んだ周りの子供たちに、「なぜ」と問うことはここではしません。それは、あまりに不毛だし、悲しさがより一層募るだけだから。 今回取り上げた「オウエンのために祈りを」は正に彼女の為に書かれた様な小説です。 主人公のオウエン・ミーニーは彼女と同じく、大きくなれない病気です。その彼が、もう一人の主人公であり、語り手である友人のジョンと共に歩む、これも彼女と同じく短い(とは言え、彼女の方がより短いのですが...。)人生の中で起こる様々な出来事を、毎度おなじみのアーヴィングらしい少し奇妙なエピソード満載で描くものです。ですが、他の多くの彼の作品と比べて、この小説のテーマはかなり明確です。他の作品が、主旋律を求めて色んな楽器が芯をつとめ、アドリブをし、全体的な曲を形作るジャズの様な小説であるとするなら、この「オウエンのために祈りを」は、クライマックスに向けて、全ての伏線が回収され、壮大なシンフォニーを奏でる交響曲の様な作品だと言えます。それ故、アーヴィング作品の中では最もメッセージ性の強いものだと言えるかも知れません。 アーヴィングが我々に作品を通じて提示する(そしてこれこそが、私が彼女にこの作品を読んで欲しかった、と思う根拠であるのですが)そのメッセージ(またはテーマ)は、誠にシンプルです。それはずばり「全ての事に意味はある」ということ。オウエンが小さかった事にも、そして彼女が大きくなれない病気であったことにも。きっと。 ここで、作者と我々の宗教的なバックグラウンドを取り上げるつもりはありません。どちらかといえば、私自身、宗教的な人間とは到底言えないからです。ですから、何か大きな存在の意志によってこの世界が動いている、等と大きなテーマを語る気などありません。ですが、それとは別に、「我々が生まれたり、生まれつき何かを背負ったり、誰かと出会ったりすることには、なにがしかの意味(目的と言い換えても良いかも知れません)がある」と、「絶対そうなのだ」と、そう考えたいのです。 ですから、彼女が「いじめ」にあったことにも(こんなひどい事はあってはならないのですが)、彼女が死を選んでしまったことにも、そしてその事実をご両親が語られたことにも、こうして私がこの小説に重ねて彼女のことをここに書いていることにも、そのつたない文章をあなたが今読んで下さっていることにも、何か、必ず意味があって欲しいのです。これは、私の心からの希求です。そうでなければ、こんな悲しい事件が起こる事に対して、心がその重さに耐えきれないような気がするのです。何も、良い人ぶるつもりはありません。私とて、年相応に人の倫理にもとる行為を少なからずやって参りました。それでもなお、こういった不条理な事件や事故で亡くなった子供たち・・・池田小で恐怖におびえ痛みに苦しみながら死んでいった子供たち、酔っぱらい運転の車に突っ込まれ命を失った福岡の子供たち、外れたトラックのタイヤが直撃して亡くなったお母さんとお腹の子、居眠りのトラックに追突され炎上する車内で死んでいった子供たち、登校中に車に突っ込まれ死んでいった子供たち、そして何度も何度も繰り返される、愛して守ってくれるはずの親からの虐待で死んでいった子供たち・・・のその短い、短すぎる人生に何らかの意味があった、と考えなければ、辛くて悲しくて絶望で前が向けなくなるのです。自分の子供たちに胸を張って、この世界を手渡すことが出来ないのです。これは私なりの不器用な世界の理解の仕方なのです。 そんな話だからこそ、彼女がもしまだ生きていたなら、この本を読んで欲しかった。彼女に、その苦しみには意味があることを伝えたかった。そうしたらもしかして...、と考えてしまうのです。 そして、愛するわが子をこんな形で失ったご両親にも是非、読んでみて頂きたいのです。そして、もしもいつかこんな悲しい事故や事件が、全く起こらない社会になった時、または私たちが努力をして、そんな社会に近づけることが出来た時、彼女に伝えてあげたいのです。 「君の病気にも、苦しみにも、死にも、意味があったよ」と。 「オウエンのために祈りを」 J.アーヴィング 著 Excite エキサイト:社会 ニュース
by unit7of9
| 2006-11-15 17:55
| 本
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